時計の針が回る方向を「右回り」と呼ぶのは、日本でも世界でも当たり前のようになっています。でも、これって実は人間が自然現象を見て決めたことなんです。
昔のヨーロッパでは、日時計を使って時間を読んでいました。太陽の影は、北半球では左から右へ(=南を向いたときに東から西へ)動いていきます。これがそのまま、**機械式時計の針の動き(右回り)に反映されました。
つまり「右回り」は、自然をもとに作られた人工的概念というわけです。
ただ、自分も「右左」には若干不安を覚えることがあるので、この辺は気をつけるようにしています。なので「時計回り」「反時計回り」を使うようにしています。
まずこれで確定するのは「時計回りは右回り」であってその逆である「反時計回りは左回りである」という定義です。
ところがこの2枚の図を見せると大混乱します。


これはまさに、「方向の感覚」は視点に左右されるということを示しています。(左右されるって言う表現もなかなかですねw)

実際、時計を裏から見ると「左回り」に動いているように見えます。
また、座標やベクトルの回転を学ぶとき、数学や物理では「反時計回り=正の方向」とする場面もあり、混乱が生まれやすいのです。
だからこそ、「右回り」「左回り」の感覚は、経験を重ねながら、徐々に「社会的な共通語」として習得されていくものといえるでしょう。
小さい子どもに「右手あげて〜」と言うと、たまに左手をあげることがあります。回れ右でも逆回転の子もいます。左右の区別は、3〜5歳ごろにようやく安定してくるとされています。
でも、それが完全に身につくには、「使う機会」と「文脈」が必要ということでしょう。
たとえば、
- 靴の左右をそろえる(左右逆に履いてる人もいたよなぁ)
- 交通ルール(右側通行・左側通行…国によって違うけど)
- ダンスや運動での振り付け指示(ラジオ体操の時の体育委員とか大変なやつ)
⠀こうした経験を通して、左右の感覚はだんだんと「文化の中の自然な感覚」として育っていくのでしょうね。
実際生徒のみなさんに「親にどうやって右左を教えてもらったのか?」という質問をすると「箸を持つ方が右」という割合がそれなりに多い一方、「こっちが右だよ」ということだけを言われ続けたという人もいました。
ご両親またはどちらかが日本語ユーザーではない場合は指を図のようにして「正しい”L”の方が左だよ」って習ったということです。

それが紹介されると「あーイヤホンのL・Rって左右か!」とか言い出す生徒がいたりしてで割と衝撃でした。「割と間違えてるわ自分!w」という声もありました。
あらゆる場面で登場する「回る」動き。その中で「右回り」「左回り」を体感することは、単なる方角の理解以上に、**「物の動きを捉える力」や「視点を切り替える柔軟性」**を養うきっかけにもなります。
たとえばこんな活動はどうでしょう?
- 実際に自分が時計の中心になって、回ってみる
- 上から見たときと、下から見たときで、回転の向きがどう変わるか考える
- ペンのキャップをどちらに回すと締まるか観察する
⠀こうした活動を通して、「右回り」「左回り」はただの記号ではなく、空間と身体の対話であることに気づいていけるのだろうなとおもいました。
時計を見ていても、「12→3」「9→12」までは右回り、「3→6」「6→9」は左回りに感じてしまうのもなんとなくわかりますよね。
しかし、先ほどの図が「左回りである」と他の人が納得する説明方法を考えるという作業で色々盛り上がって面白かったです。


「家で聞いてみる!」といっている人もいましたので、結果が聞きたいなと思いましたし、何人かの知り合いに出題すると、案外大人もわかっていないということを痛感させられる話でしたw
自分たちが「右」「左」と自然に言えるようになるには、文化・身体・視点のすべてが関わっています。時計の針が回るように、ぐるぐると動きながら、人は世界の中で方向を学んでいきます。
実は東西南北もなかなか難しいというのは実感させられますね。

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